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昭和40年代

支店網・拠点の整備が40年代のテーマでした

広がる販売先に対応するため支店網の拡張を図りました。東京、埼玉、神奈川の首都圏に支店を開設し、徐々に広域エリアにも営業拠点を設けました。

「現在問屋を通過している消費財中の相当部分は、メーカーから巨大小売連合の倉庫などへ直卸形態へと移行するようになるだろう。 量産メーカーとスーパー・チェーンとの取引が完成したとき、この部分にあっては問屋機構は大幅に排除され・・・・・・

これは昭和37年、当時東大教授だった林 周二の『流通革命』序文です。いわゆる「問屋無用論」を引き起こすこととなった小論文でした。  我々はこれを問屋機能の充実へのニーズと考え、急ぎ物流・商流・情流の整備拡充を図ったのでした。我々にとって『流通革命』は警告の書であり、機能強化の契機を与えてくれる物でした。
昭和40年 11月 神奈川支店開設(神奈川県川崎市宮内)
昭和41年 11月 店頭販売会社として(株)美和設立(川崎市)
昭和46年 8月 埼玉支店を移転(川口市中町)
10月 本社移転(三鷹市大沢)
  12月 ボウリング場・美多加ボウル開設(平成2年閉鎖)

埼玉支店を移転した跡地利用として、 当時大流行したボウリング場の経営に乗り出しました。 オープンから数年間は大繁盛でしたが、 ブームは長くは続きませんでした。

美多加ボウル
本社:三鷹市大沢
埼玉支店:川口市中町
神奈川支店:横浜市瀬谷区
昭和48年 5月 増資して資本金3,000万円に
8月 静岡支店開設(静岡県静岡市)
8月 山梨営業所開設(山梨県中巨摩郡白根町)
  10月 長野支店開設(長野県長野市川中島)
長野支店:長野市川中島
殺到する人々
この年の10月には第一次石油ショックから、ガソリンが品不足から急騰する、家庭用の灯油が不足する、トイレットペーパーが店頭から姿を消すなど大パニックが起きました。
 この消費心理は留まることなく、お菓子までもが買い占められるようにして店頭から消えました。メーカーでも原料価格が急騰したり、売り惜しみによって原料が逼迫し、ついには一日に二度も三度も価格が値上げされるような事態にまで至りました。当時「狂乱物価」と言われたものです。
 その時でも、当社は尻馬に乗ったような販売政策を採らず、正しい商売に徹して誠心誠意で取り組み、お客様からも信頼され感謝のお言葉を頂戴しました。  パニックが終わると、当然の反動として景気後退と需要停滞がありましたが、パニック当時の当社の真面目な対応を評価いただき、逆に売上は拡大されました。
棚ががらがらになったスーパー
●世の中の出来事
昭和    
40年 2月 米国、ベトナムに北爆開始
11月 いざなぎ景気始まる(45年7月まで)
41年 1月 初の赤字国債発行
3月 人口1億人突破
42年 6月 第三次中東戦争勃発
  6月 第一次資本自由化始まる
7月 欧州共同体発足
  8月 公害対策基本法公布
43年 1月 東大紛争始まる
  4月 初の高層ビル・霞ヶ関ビル完成
11月 川端康成、ノーベル文学賞受賞
  12月 東京都府中市で三億円事件おきる
44年 5月 東名高速道路全線開通
7月 米国、アポロ11号月面着陸
45年 3月 よど号ハイジャック事件発生
3月 万国博覧会、大阪で開催
46年 6月 沖縄返還条約調印
8月 米国、金・ドル交換停止などのドル防衛策を発表(ニクソン・ショック)
12月 円切り上げ、1ドル=308円に
47年 1月 列島改造ブーム起こる(48年11月まで)
2月 浅間山荘事件起きる
6月 田中角栄「日本列島改造論」発表
9月 日中国交正常化合意
11月 中国からパンダが贈られる
48年 10月 第一次石油ショック起こる
トイレットペーパーが家庭からなくなる、狂乱物価起こる、経済混乱から低成長経済の時代に移行
49年 1月 ベトナム平和協定調印、米軍撤収
8月 企業連続爆破事件多発
戦後初のマイナス経済成長に